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| July 20, 2004 |
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コーチ K は NBA に “ノー”
コービー・ブライアント(NBA ロサンゼルス・レイカーズ)は、デューク大学ヘッドコーチ マイク・シャセフスキー(Mike Krzyzewski)にレイカーズのヘッドコーチになって欲しいと思っていました。しかし、お金やNBAというブランドも、この有名コーチの心を動かすことはできませんでした。
コーチ K(マイク・シャセフスキー)は、カレッジバスケットボールのヘッドコーチとしては稀なことですが、デューク大学と “終身” ヘッドコーチの契約をしています。そのコーチ K にレイカーズから提示された条件は、5年間で4,000万ドル(およそ 44億円)というものでした。
コーチ K はデューク大学で24年間ヘッドコーチをつとめ、通算成績は621勝181敗、全米チャンピオン3回(1991、1992、 2001)という経歴をもつ超一流ヘッドコーチです。今では、カレッジバスケットボールを象徴する存在になっています。

デューク大学ヘッドコーチ マイク・シャセフスキー
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マイク・シャセフスキー
「人の人生には信念がなければならないと考えています。ですから、私がこの決断をするに至った過程はそれほど難しいものではありませんでした。私の心の中には、いつもデューク大学のことが満ち溢れています。」
シャセフスキーがレイカーズからの誘いを思案しているとき、ある学生からの手紙を受け取り、大きく心を動かされました。
「ずっと、デューク大学ブルー・デビルスの “コーチ” でいて欲しいです。
デューク大学におけるあなたの存在は、バスケットボールチームのわずか12〜15人の選手に対してだけではなく、この大学のすべての学生に対しても大きな影響を与えてくれています。」
コーチ K がデューク大学に残留することを公式に発表する日の朝、コーチ K の妻は、その学生に、「あなたの “コーチ” はデューク大学に残る決心をしました。」と、伝えていました。
年々、若い選手が急いで NBA 選手になろうとする傾向が強まってきています。しかし、彼らのすべてが、その時点で高い評価を受けているわけではありません。もちろん、高額の給料が決められているわけでもありません。
コーチ K は、NBA から 600万ドル(およそ 6億 6,000万円)の年棒増額という条件を提示されても、それを断り、カレッジバスケットボール界にとどまりました。
ミシガン州立大学のヘッドコーチ トム・イゾーも、2度、NBA(アトランタ・ホークスとトロント・ラプターズ) から誘いを受けましたが、いずれも断っています。
ノースカロライナ大学ヘッドコーチ ロイ・ウィリアムズしかり、ボビー・ナイト(現テキサス工科大学ヘッドコーチ)しかり、そして元UCLA の伝説的ヘッドコーチ ジョン・ウッデンもNBA からの誘いを断っています。
ジョン・ウッデン
「コーチ K だけでなく、トム・イゾー、ロイ・ウィリアムズのようなヘッドコーチは、バスケットボールというスポーツのたいへん優秀な先生です。NBA では、先生として教えるようなことはあまり多くありません。」
最近の成功例はラリー・ブラウン(現 NBA デトロイト・ピストンズ ヘッドコーチ)です。彼は、今年、NBA の頂点に立ち、バスケットボール史上はじめて、NCAA チャンピオン(1988年カンザス大学)とNBA チャンピオンを成し遂げたことになります。
ますます若い選手が、大学を卒業することなく、あるいは大学に進学することもなく、NBA でプレイしようとする傾向が強まり、 NBA のカレッジバスケットボール・コーチに対する関心が高くなってきています。
そして、元スタンフォード大学のベテラン・ヘッドコーチ マイク・モンゴメリーは 1,000万ドル(およそ 11億円)でNBA ゴールデンステイト・ウォリアーズのヘッドコーチになりました。
しかし、ラリー・ブラウンのように、カレッジバスケットボールとプロバスケットボールの両方で成功できるヘッドコーチはわずかです。
リック・ピティーノ(元ケンタッキー大学−NBA ボストン・セルティックス解雇−現ルイビル大学)、ロン・クルーガー(元イリノイ大学−NBA アトランタ・ホークス解雇−現ネヴァダ大学ラスベガス校)、ジョン・カリパリ(マサチューセッツ大学−NBA ニュージャージー・ネッツ解雇−現メンフィス大学)、レオナルド・ハミルトン(元マイアミ大学(フロリダ州)−NBA ワシントン・ウィザーズ解雇−現フロリダ州立大学)は、カレッジバスケットボールの一流ヘッドコーチという地位を捨て、NBAヘッドコーチになりはしたものの、NBA では悲惨な結果しか残すことができずに、最後は解雇されてしまいました。
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