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| April 25, 2004 |
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1979 NCAA トーナメント決勝戦 = ミシガン州立大学 VS インディアナ州立大学 =
“マジック” VS “バード”
バスケットボール界に偉大な足跡を残した2大スター、アーヴィン・“マジック”・ジョンソン(元ミシガン州立大学)とラリー・バード(元インディアナ州立大学)の対戦となった1979のNCAA 全米チャンピオン決定戦から25年が経ちました。

(左) ラリー・バード (右) アーヴィン・“マジック”・ジョンソン
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1979年、NBA は現在のように人気のあるプロスポーツではありませんでした。NBA プレイオフがテレビで実況中継されることもなければ、観客も少なく、NBA のジャージや帽子を身に着けている人は誰もいませんでした。多くの選手が薬物を使用して問題を起こし、チームはその存続さえ厳しい状況におかれていました。
カレッジバスケットボールには、ショットクロックやポゼションアローといったルールはなく、3ポイントシュートもありませんでした。NCAA トーナメントには40大学(現在は65大学)しか出場していませんでした。
そして、長髪の選手が、丈の短いショートパンツに、長い靴下をはいてプレイしていました。
“マジック” と “バード” の対戦は、ヘビー級タイトルマッチのようにメディアの注目を集め、ふだんはバスケットボールを見ていなかった大勢の人々の関心も集めました。
この試合の視聴率は 38%。バスケットボールの試合としては歴代最高の視聴率を記録しました。ユタ州ソルトレイクで行われた試合はまるでマジックとバードのショーでした。
マジックとバードはNBA 人気に火をつけることになり、NCAA ファイナルフォー(NCAA トーナメント準決勝、決勝)を大きなドームスタジアムで行われるスーパーボウルのような全米イベントにかえました。
| NCAA トーナメントの数字による比較 |
| | 1979 | 2000 |
| 観客数(人) | 262,101 | 624,777 |
| 1試合平均観客数(人) | 11,914 | 18,375 |
| チケット売上げ | $2,480,000 | $25,080,000 |
| 平均チケット代金(1枚あたり) | $9.47 | $40.14 |
| テレビ放映権料 | $5,160,000 | $227,700,000 |
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ここまで無敗(33勝0敗)のインディアナ州立大学でしたが、下馬評ではミシガン州立大学(25勝6敗)が優勢でした。
ミシガン州立大学には、その前年(1978年)のNCAAトーナメント・ベスト8( Elite 8 )で、その年の全米チャンピオンとなったケンタッキー大学に接戦の末敗れた(49−52)ときの主力選手がほとんど残っていたため、全米ランキング第1位でシーズンをスタートしました。
ビッグテンカンファレンス試合での対戦成績を4勝4敗としたあと、ミシガン州立大学の選手は選手だけのミーティングを自ら行いました。また、ヘッドコーチとして3年目を迎えたジャド・ヒースコートは、停滞気味であったチームを再び活発化させるために、3人のガードを先発させる作戦へと変更しました。
その後、ミシガン州立大学は10連勝し、13勝5敗の成績でパデュー大学、アイオワ大学とともにビッグテンカンファレンス優勝を成し遂げました。そして、ミシガン州立大学、アイオワ大学がNCAA トーナメントの出場権を獲得し、パデュー大学はNIT トーナメントへ出場することになりました。
もし、ミシガン州立大学があと1試合でも負けていたら、“マジック” 対 “バード” の対戦は永遠に成立しなかったかもしれません。それは、低迷していたバスケットボールというスポーツが、脚光を浴びるきっかけを失うことにもつながっていたかもしれません。
ファイナルフォーが開催されるユタ州ソルトレイクシティにチームが到着したとき、“マジック” と “バード” による優勝決定戦への期待が高まっていました。
ペンシルヴァニア大学との準決勝、マジック・ジョンソンがトリプルダブル( 29得点、10リバウンド、10アシスト)をマークする活躍をみせ、ミシガン州立大学は34得点差で圧勝(101−67)しました。この記録は、NCAA トーナメント準決勝史上最大の得点差として、いまだに破られていません。
ラリー・バードは 35得点(FG 16/19)、16リバウンド、9アシストを記録し、インディアナ州立大学はデポール大学に 76−74 で勝ちました。
これで舞台はできあがりました。誰もが見たいと思っていた全米優勝決定戦が行われることになりました。
ミシガン州立大学ヘッドコーチ ジャド・ヒースコートは、これまで、自分の選手がラリー・バードのような素晴らしい選手と対戦した経験がないことを知っていました。そこで、NCAA トーナメント決勝戦前日、マジック・ジョンソンにバードのプレイを真似させ、他の先発選手4人と控え選手1人にバードになりきったマジックを相手に練習させました。

アーヴィン・“マジック”・ジョンソン
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試合は、開始直後から、ミシガン州立大学ペースで進んでいきました。ミシガン州立大学のゾーンディフェンスはラリー・バードに思うようにプレイさせませんでした。ミシガン州立大学はインディアナ州立大学から2桁のリードを奪って、前半を終了しました。
後半、ミシガン州立大学 C グレッグ・“スペシャル K”・ケルサーが4ファウルとなってベンチに下がると、インディアナ州立大学の反撃がはじまりましたが、全米チャンピオンになったのはミシガン州立でした(75−64)。
ファンのお気に入りの選手がアーヴィン・“マジック”・ジョンソンでした。オフェンスのときはポイントガード、ディフェンスのときはフォワードでプレイし、すばらしいパス、そして笑顔、情熱でファンを魅了しました。
ジョンソンは、この試合最高の 24得点、5アシストを記録し、1979年 NCAA ファイナルフォーの最優秀選手に選ばれました。
ミシガン州立大学のグレッグ・ケルサーは自己ベストとなる 19得点、9アシストを記録しました。また、インディアナ州立大学がダブルでマジックとケルサーのカバーにあたっていたため、フリーになっていたG テリー・ドネリーは 15得点(FG 5/5、FT 5/6)を記録しました。
インディアナ州立大学のラリー・バードは 19得点(FG 7/21)に終わりました。
試合終了後、ミシガン州立大学ヘッドコーチ ジャド・ヒースコートは選手に言いました。
「君たちは、自分たちが成し遂げたことに、今はそれほど意義を感じていないかもしれない。しかし、大人になるにつれ、それがどれだけ意義のあることであったかを感じることになるだろう。」
メディアに対しては、「ラリー・バードとマジック・ジョンソンには、これまで誰も評価することのなかったコート全体を見る目、ボールをコントロールするセンスがあります。偉大なプロバスケットボール選手になるでしょう。」 と話していました。
| 1979 オールトーナメントチーム (ファイナルフォー) |
| 最優秀選手 | アーヴィン・“マジック”・ジョンソン | (ミシガン州立大学) |
| | グレッグ・ケルサー | (ミシガン州立大学) |
| | ラリー・バード | (インディアナ州立大学) |
| | マーク・アグワイヤ | (デポール大学) |
| | ゲイリー・ガーランド | (デポール大学) |
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マジックのいたロサンゼルス・レイカーズは5度のNBAチャンピオン、ライバル ラリー・バードのいたボストン・セルティクスは3度のNBAチャンピオン。1980年代の2人のライバル関係が人々の関心を惹きつけ、NBAは空前のブームとなりました。
バスケットボールというスポーツに再び脚光を浴びさせるために、マジックとバードがしたことは何でしょうか? それはパスです。彼らは試合でパスを魅せたのです。
それまでの試合ではシュートやダンクがほとんどで、ファンは退屈していました。しかし、マジックやバードがパスを魅せることにより、ファンは試合を見るようになりました。
ミシガン州立大学の現ヘッドコーチ トム・イゾーはその当時24歳で、ノーザンミシガン大学のアシスタントコーチになったばかりでした。チャンスに恵まれたイゾーは、ソルトレイクシティでファイナルフォーを、この決勝戦を見ました。そのときの感動は今でも残っているそうです。
「カレッジバスケットボールがテレビ視聴率の記録をつくる。それは本当に特別なことであったと思います。」
「チームのことを最大限に考え、チームのためにプレイするマジックとバードの2人がいました。それが特別なことだったのです。バスケットボールというスポーツにパスがあることを思い出させてくれたのです。もちろん、それだけではありませんでした。」
「マジックとバードのおかげでバスケットボールがさらによくなりました。きっと、あのとき、バスケットボールが彼らを必要としていたのです。」

アーヴィン・“マジック”・ジョンソン と ラリー・バード
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“ドリームチーム” の起源はマジックとバードにあります。その “ドリームチーム” で試合をしたバルセロナ・オリンピック(1992年)では、いとも簡単に金メダルを獲得しています。
一昨年のバスケットボール殿堂入りを発表する式典では、マジック・ジョンソンがラリー・バードの名前を読み上げました。そして、昨年は、ミシガン州立大学のバスケットボールアリーナ(ブレズリンセンター)前に寄贈されたマジック・ジョンソン銅像の除幕式のために、ラリー・バードはミシガン州立大学にいました。
2人のライバルはいつもお互いを尊敬していました。今では、永遠の親友です。
マジックとバード、2人の偉大な選手が NCAAファイナルフォーに与えた影響、それだけでなくバスケットボール全般に与えた影響は、今日でも引き継がれています。
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