
パデュー大学学長
ジェームス・H・スマート氏
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| History |
1895年1月11日、アメリカ中西部の7つの大学の学長がシカゴのパーマーハウスに集まり、大学間競技の規則と管理について話し合いました。その会合は、団体競技の最も成功したものの一つとなった企ての第一歩となりました。
その7人は、パデュー大学の学長、ジェームス・H・スマート氏を中心に、、一般に「ビッグテン
カンファレンス」として知られることになる「教員代表によ大学間会議」結成の綱領を作成しました。
会議では、任命された教員代表の指導のもとで大学スポーツの監督と運営をする青写真が引かれました。学長達の決定では、選手の資格を、学業をおろそかにしていない全日制の学生に限ることでした。このことは、その時代の問題であった幾つかの事柄の解決、特にプロ選手や学生でない選手が大学スポーツで競技すること、などに効果がありました。
この重要な規定は以後の年に続いて定められた他の規定と共にアマチュア学生スポーツの定礎となりました。
この会議から11ヶ月後、同じ7大学から一人ずつの教員代表がパーマハウスホテルに集まり、正式に「インターカレッジエイト・カンファレンス・オブ・ファカルティ・レプリゼンタティブ(教員代表による大学間会議)」の機構を創設しました。これはその後ビッグテン
カンファレンスと呼ばれるようになりました。
7大学とはネシカゴ大学、イリノイ大学、ミシガン大学、ミネソタ大学、ノースウェスタン大学、パデュー大学、ウィスコンシン大学でした。1899年にはインディアナ大学とアイオワ大学が、1912年にはオハイオ州立大学が加盟、1946年にシカゴ大学が脱退し、1949年にミシガン州立大学が加盟しました。
加盟校は40年間変化しませんでしたが、1990年6月の学長会議で、ペンシルバニア州立大学が加盟し、現在の11大学となりました。
世紀の変わり目(19世紀から20世紀への)において、教員代表達が制定した大学スポーツ間に関する規定は、その頃としては画期的なものでした。1906年に教員達は競技者の資格として、大学入学の成績規定を満たし、一年分の学業を完了し、同時に一年間の寄宿舎生活を終えるという規定を承認しました。
一年生と大学院生は競技をすることは許されず、選手の為の特別な食堂や寮も禁止され、またコーチは大学から「穏当な給料で」雇われるものとなりました。
1990年以前は、フットボールと野球が人気のあるスポーツでした。ウィスコンシン大学が最初の二度のフットボール、シカゴ大学が最初の三度の野球のタイトルを取りました。カンファレンスが最初に公式に主催した選手権大会は陸上競技のもので、1906年にシカゴ大学で開かれ、ミシガン大学が優勝しました。
それ以来、数多くの様々なスポーツ競技がビッグテン加盟校のキャンパスで盛んになりました。中には、フットボールやバスケットボールの様に異常な人気を博したものもありますし、ボクシングのように、行われなくなったものもあります。
ビッグテンの大学の学生数も拡大してきました。ビッグテンは他のいかなるカンファレンスより多くの、世界で三百万人に近い現存卒業者数を誇っています。
ビッグテンは現在、シカゴにおける地域貢献としい、「DREAM
BIG」という競技参加機会を男女平等に、というプログラムを行い、そして「SCORE(Success Comes Out of Reading Everyday)」という、「成功は毎日読書することから生まれる」という頭文字をとった識字運動に協力しています。
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